東京高等裁判所 平成5年(う)992号 判決 1995年9月11日
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人山本孝作成名義の控訴趣意書及び検察官吉野勝夫作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これらに対する答弁は、検察官山口一誠、同藤河征夫共同作成名義の答弁書及び弁護人山本孝作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。
第一 弁護人の理由不備、理由齟齬ないし事実誤認をいう控訴趣意(一)について
所論は、原判示第二の犯行について、被害者両名に対する殺害行為は、単に被害者両名を生かしておけばB医師殺害の機会を失つてしまうとの考えから決意するにいたつたもので、金品奪取をも意図して行なつたものではないから、強盗殺人罪は成立せず、殺人罪と窃盗罪とが成立するにすぎないのに、原判示は、被告人が金品奪取の意図もあつて右所為に及んだ旨認定して強盗殺人罪に問擬しており、右は理由不備、理由齟齬ないしは判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認であるというのである。
そこで、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討すると、平成四年一一月二日の原審第二六回公判期日において、被告人が金品奪取を考えたのは被害者両名を殺害した後である旨供述していることは弁護人の指摘するとおりであるが、右供述は原審弁護人の甚だ誘導的な発問にいわば迎合するような形でなされたものであつて、そのやりとりからみて、被告人自身が積極的、自発的に述べたものとは直ちに認めがたいものであるうえ、被告人は、捜査段階においてはもとより、原審公判廷の段階にいたつても、第一回公判期日及び第五回公判期日において、金品奪取の犯意をもつにいたつたのは被害者両名の殺害を決意した時点である旨一貫して明確に認めており、さらには、原審第二六回公判期日における弁護人指摘の右のやりとりの後である平成四年一二月二一日の原審第二八回公判期日においても、被告人は同様の自白をくりかえしていること、被告人の捜査段階における本件についての供述は、後述のとおり、全般的にも、迫真性、具体性に富んだ詳細なものであつて、不自然な点がいささかもなく、他の客観的な関係各証拠ともよく符合していることや犯行の各段階における被告人自身の思い、心情をも吐露告白しつつなされているものであることなどを併せ考えるとき、被告人がその鮮明な記憶にもとづきありのままを供述した信用性の高いものと認められるのであるが、このうち金品奪取の犯意発生時期に関する自白についてさらにいえば、被害者両名を殺害する直前の時点における被告人の金品物色の状況や、被害者両名を殺害した後直ちに被告人が右物色にかかる金品の奪取に及んでいることからみても十分に首肯しうるものであり、また、被害者両名を逮捕拘束して被害者両名にB医師殺害の企図を告げた後に同医師が当夜は帰宅しないことが判明した時点において、このまま被害者両名を生かしておけば自分が逮捕されて同医師殺害の機会を失つてしまうことになると考え、被害者両名を殺害するの他はないと決意するにいつたことは、心理的にいつて、きわめて自然な成り行きというべきであるが、当時の被告人の逼迫した経済状態や生活ぶりにかんがみるとき、直前の物色行為によつて、まとまつた金員等が現場にあることを探知していた被告人が、その時点で、併せて右金品等の奪取をも思い立つたということも、これもまた、ごく自然な成り行きに他ならないと思料されることなどの諸事情を総合するとき、被害者両名の殺害を決意した時点で、同時に金品奪取をも決意した旨の被告人の一連の自白は十分に信用できるものであり、これに反する弁護人指摘の原審第二六回公判期日における被告人の供述は信用できないものであることは、原判決が説示しているとおりといわなければならない(当審における被告人の所論に沿う供述も、同様の理由から採用するに由ないものというべきである。)。したがつて、原判決には理由不備、理由齟齬の違法はもとより所論のような事実の誤認もない。論旨は理由がない。
第二 弁護人の訴訟手続の法令違反をいう控訴趣意について
所論は、被告人に対するチングレクトミーの後遺症の影響を的確に把握するためには、大脳病理学の専門知識をふまえた考察が不可欠であり、したがつて、本件の鑑定人には大脳病理学の専門家を充てるべきであつたにもかかわらず、原審は、このような措置をとることなく、大脳病理学の専門知識を欠く小田鑑定人、荒崎鑑定人及び逸見鑑定人に鑑定させることでお茶をにごしているのであり、右は、審理不尽の結果判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反の誤りをおかしたものというべきであるというのである。
しかしながら、小田鑑定人や逸見鑑定人は、所論指摘の分野の専門家ではないとしても、同人らの作成した各鑑定書の記述や原審各証言の内容からして、いずれも所論指摘の分野についても十分な一般的知識を備えていることは明らかであるうえ、同人らはこの分野についても国内の文献のみならず外国の文献をも広く目を通してこれを鑑定の判断過程に十分にとり入れ、その鑑定結果に生かしていることが認められるのであるから、原審は所論指摘の点についても必要にして十分な審理を尽くしているというべく、所論のような審理不尽も訴訟手続の法令違反もない。論旨は理由がない。
第三 弁護人の理由不備、理由齟齬ないし事実誤認をいう控訴趣意(二)について
所論は、被告人は、本件各犯行当時、多量の睡眠薬の服用による酩酊とチングレクトミーの後遺症とが複合した精神状態の下にあつて、是非を弁別し、又は、これにしたがつて行動する能力が著しく減弱したいわゆる心神耗弱の状態にあつたことは明らかであるのに、原判決は、当時被告人が完全な責任能力を備えていた旨認定しており、右は理由不備ないし理由齟齬あるいは判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認にあたるというのである。
まず、そこで、原審及び当審において取り調べられた関係各証拠を吟味検討することとする。原審取調べにかかる関係各証拠によつて、本件各犯行にいたるまでの被告人の経歴、行動歴をみるに、被告人は、昭和二七年ころ、精神科医の診察を受けた際バルビツール酸系薬物の注射を受け、羞恥心が薄らぐのを自覚したことをきつかけとして、じ後睡眠薬を常用するようになつたものであるが、この事実は、それ以前の被告人が過剰な羞恥心、自意識にかなり悩まされていたことを物語つていると思料され、現に被告人は恋愛問題から自殺を企図、実行したり、自分が他人から手癖が悪いと疑われているのではないかという疑惑にさいなまれるという強迫神経症的な症状にも悩まされていたこと、また、このころの被告人は、性的禁欲が自らの知的能力を高めるという想念にとりつかれ、支配されていたことも窺われること、被告人は睡眠薬を常用するようになつた後、しばしば、ささいな動機から職場の同僚やたまたま路上で行き合つた相手に対して暴行を加えたり傷害を負わせるなどの粗暴な行動をし、さらに実妹や従兄弟ともトラブルを起こし、その職場や家庭に押しかけ、あるいは押しかけようとするなどして乱暴狼藉に及ぶという事件も起こしていること(この事件では、被告人は、器物毀棄罪の現行犯人として逮捕勾留されているのであるが、留置場内でも、大声を出して騒いだり、警察官にあたり散らすなどの言動をくりかえしているのである。)、また、そのころには、自分が人夫として従事していた道路改修工事の手抜きを当局に密告するとか、友人の休業補償等の支払を要求するなどといつて職場の雇主や上司を脅して金員を巻き上げるという態様の恐喝をも二回にわたつて行なつており、これらの暴力事犯と恐喝事犯により二回にわたる服役を余儀なくされていること、実母の申出により乙山保養院に措置入院となつた後も、被告人は、脱走を企て、独居室の鉄格子を金鋸の刃で切断しようとしたことがあり、また、B医師の施行した精神療法に対しても、その面接において、自らのこれまでの行動をどこまでも正当化してB医師に議論をいどむという態度に終始し、相手方の非のみを過大に強調して己の内面に洞察の目を向けようとはしなかつたため、精神療法は全く効を奏しない結果となつたこと、そのため、B医師は、被告人にチングレクトミーを施すことにし、被告人の実母の同意を得たうえ、当時乙山保養院の医長であつたE医師の執刀により右手術が施行され、B医師もF医師とともにその助手をつとめたのであるが、被告人がチングレクトミーを施されれば廃人になつてしまうと考え、その施行を強く拒む態度をとつていたため、手術は、被告人の同意を得ないまま、被告人には肝臓の検査をするように思いこませて施行されたこと、手術後意識を回復した時点で、被告人は自分にチングレクトミーが施されたことを知つたが、この時点では、被告人は、チングレクトミーが施行されてしまつた以上、今更悔やんでも仕方がないという諦めの気持も強く、したがつて、B医師に対して怒りの感情を抱くことはなく、むしろ、これによつて、自分の能力が改善されたと自ら信じこもうと努めていたこと、チングレクトミー施行後、被告人の爆発的傾向は消褪したが、被告人は自信喪失、挫折感、不眠等の精神衰弱様状態に襲われるようになり、また、当時従事していた著述の仕事も手術前の五分の一位の量しかこなせなくなり、次第に執筆に苦痛を覚えるようになつたこと、そのため、被告人は、そのころ、大型特殊運転免許を取得し、機をみてわざと自分の片足を切断するような事故を起こして労災保険金を得、これにより生活をしようなどという突飛な考えを抱き、山砂採取現場でブルドーザーなどの運転手として働くようになつたが、やがて、時時てんかん様の発作に襲われるようにもなり、その治療薬としてフェノバルビタールの投与を受けるようになつたこと(このてんかん様の発作については、その後一層激しくなり、発作性眩暈症と診断され、チングレクトミーの後遺症に他ならないと指摘されたが、この発作のため被告人は肋骨を折る大怪我をしたこともあつた。)、このころから、被告人には、再び粗暴な言動がみられるようになり、しばしば喧嘩をして刑事事件を起こし、また職場の上司などにいいがかりをつけて金員を要求するという恐喝まがいの行動をもとるようになり、やがては、再び著述によつて生計をたてようとし、そのためには著述に専念できる静かな環境の借家を得る必要があり、その資金調達のためには強盗をする他はないと考えるにいたり、横浜市内の貴金属店を襲う強盗致傷事件を起こして服役したこと、被告人は昭和五〇年に右の服役を終えて出所したが、入所中不眠の治療のため睡眠薬の投与を継続的に受けていた結果、右出所のころにはてんかん様の発作もほぼ消失していたこと、被告人は、このころ、自分が何度も服役していたことなどについて、挫折感、劣等感、屈辱感や自分自身に対する絶望感、自己否定の観念にとらわれるようになつたこと、被告人は、実弟の世話でマニラ市に渡航、就職したが、さまざまなトラブルを起こして職場にもとけこめず、また、自分の能力不足も自覚させられることが多く、さらに強く挫折感、劣等感にさいなまれるようになつて一層睡眠薬に依存するようになるとともに酒にも溺れるようになり、上司と衝突したり暴力事犯を起こすなどして職場を解雇され、やがて失意のうちに日本に帰国したこと、帰国途上、被告人は、自分が無能になり生活基盤を完全に喪失したとして強い挫折感、絶望感にさいなまれ、自殺を決意するようになつたが、やがて、自分のこの挫折はB医師が不要不急のチングレクトミーを自分に施したために他ならず、同人のために自分はみずみずしい想像力や直感力のすべてを奪われて小説を書くこともできなくなり、また、生活をもう一度立て直すだけの気力も奪われたのであり、同人によつて自分は一生を棒にふることになつたと思いこんで同人に対する怒り、憎しみを次第に募らせるようになり、ついには自分が自殺をする前に同人を殺害しようとの決意をひそかに抱くにいたつたが、他方では同人を殺害して自殺するのであれば、その前に何か建設的なことをしておこうとも考え、新型エンジンの設計に取りかかつてみたり、チングレクトミーをテーマにした小説を書こうとするなどしたが、いずれもものにならず挫折したことなどを、それぞれ認めることができる。
次に、本件各犯行にいたる経緯、本件各犯行の態様及び本件各犯行後の被告人の行動をみるに、原審取調べにかかる関係各証拠によれば、被告人は、最初B医師の通勤途上を待ち伏せして襲おうと考え、同人の乗用車を特定すべく、乙山保養院の医局に同人を訪ねたり、同人の診察を受けたりした折に同人の乗用車を割り出そうとするなどしたが、うまく行かなかつたこと、B医師殺害の方法としては、被告人は、ニトログリセリンを製造してこれを同人の運転する自動車に仕掛けて同人を爆殺しようと考え、その原料を調査してこれを入手するなどしたが、うまく行かず、間もなくニトログリセリンの製造を諦めて、黒色火薬によることにし、その製造に必要な原料などを調べて入手したが、やがて、これまた、素人には無理であると悟つて、爆殺の方法は断念し、次にけん銃による射殺の方法によることにし、モデルガンを改造しようとしたり、マニラ市に赴いて真正のけん銃を入手しようとしたが、いずれも失敗したため、最終的には同人宅での切出しナイフによる殺害の方法をとることに決め、このころ、全国医師名簿でB医師の住所をつかみ、市役所に行き偽名で同人の住民票の写しを入手するなどしてその家族構成も知つたこと、被告人は、B医師宅にその帰宅前にデパートの配達員を装つて押し入り、同人の妻や義母を脅して手錠をかけて抵抗できないようにしたうえ、同人を待ち受け、帰宅した同人にも手錠をかけるなどして抵抗できなくしたうえ、自分が同人を殺害しようとする理由を告げて同人に死の恐怖感を味あわせるとともに、同人をして、自分にチングレクトミーを施行したことの非を認めさせ、チングレクトミーがいかに悲惨な後遺症をもたらす非人道的なものであるかを書き残させた後に同人を殺害し、その後自らも命を絶とうと考え、モデルガン、手錠、しゆろ縄、デパートの婦人帽用円型ボール箱、切出しナイフの他、予備の兇器としての千枚通しや目隠し、猿ぐつわをするためのガムテープ、指紋を残さないための軍手など、右のような方法で犯行を実行するために必要なさまざまな小道具を購入してとりそろえるとともに、デパートの配達員に見せかけるべく刺繍業者に頼んで野球帽にデパートのマークを入れてもらうなどの周到な用意をしたのみならず、新聞社に宛てた犯行声明文や自分の実母宛ての遺書も作成したこと、被告人は、当初犯行を予定していた日が近づくと、神経性の激しい下痢に襲われて犯行の延期を余儀なくされたため、己の恐怖心や不安感を鈍麻させて逡巡なく行動するためには、かねて不眠等の治療のため病院から受取つていた睡眠薬などを大量に服用する他はないと考え、数回にわたつてこれを大量に服用するとともに、携行品の点検を重ね、万一B医師殺害に失敗した場合をも想定して逃走用の背広や靴なども携行品に加えることとし、さらに声明文、遺書、睡眠薬、カフェイン錠なども携行して同人宅へ赴いたこと(途中池袋駅のコインロッカー内に声明文と遺書を入れている。)、B医師方にいたり、被告人は、デパートの配達員を装つて声をかけ、玄関先に出てきた義母のC子に対して前記の切出しナイフを突きつけて脅し、家屋内に押し入つたうえ、C子の両手両足に所携の手錠をかけ、所携のしゆろ縄でC子の右足首を近くの家具に繋ぎとめるなどしたうえ、その後間もなく買物から帰宅したB医師の妻A子に対しては、不審を抱かせないためC子に声をかけさせるなどしたうえ、襲いかかり、C子とほぼ同じような方法でその身体の自由を奪い、さらに右両名の目と口とに所携のガムテープを貼つて塞いだ後右両名に対して、B医師殺害の意図やその理由を告げて、右両名が言うとおりにすれば危害は加えない旨言明したこと、その後、被告人は、屋内を物色して給料袋に入つた現金などを見つけたが、やがてA子から、B医師が当夜は帰宅しないことを告げられるや、すでにA子、C子の両名には自分の名前やB医師殺害の計画を明かしている以上、右両名を生かしておけば自分は逮捕されてしまい、同人殺害の機会を永久に失つてしまうことは明らかで、このうえは、右両名を殺害し、先に物色発見していた現金等を奪つて後日B医師殺害を実行するまでの間の逃走資金、生活資金にしようと決意するにいたり、原判示のような態様で右両名を惨殺したうえ、原判示の金員及び預金通帳を強取したこと(なお、被告人の供述するところによれば、被告人は、前述のように、昭和五四年九月二〇日と同年同月二二日にバルビツール酸系の睡眠薬を各一〇錠ずつ服用し、右犯行の前日である同年同月二五日にもバルビツール酸系の睡眠薬三〇錠とネルボン一五錠を服用し、右犯行当日にも、B医師宅に赴く途中にT-amoB二〇錠を服用し、同人宅に押し入つてからA子、C子の両名を殺害するまでの間に二回に分けてT-amoBを合計二〇錠とカフェイン剤とを服用していたというのである。)、この間、被告人は、殺害した両名の遺体から手錠、ガムテープ、しゆろ縄などを外し、着用していたサファリ上下を背広に着替えるなどするとともに、犯行後さらに遺留品がないかどうかを確認し、さらに犯行が流しの者によるものであるように見せかける擬装工作を施したうえ、現場を立去つたこと、被告人は、被害者方を出たところで軍手をはずし、切出しナイフをズボンの右後ろポケットに仕舞い込んで西武新宿線小平駅へ赴き、同所でT-amoB二〇錠を服用した後電車で池袋駅へ行つたが、国鉄池袋駅南出口改札口近くで、手に持つていた前記帽子入れボール箱が壊れ、中に入れていた手錠が落ちたため、しやがみ込むような姿勢でこれを拾い上げて右ボール箱に入れ、右ボール箱をガムテープで補修していたところ、巡回警ら中の警察官に箱からはみ出していた手錠を見咎められ職務質問を受けるにいたつたこと、被告人は、右手錠につき趣味で持つているものである旨弁解したが、さらに近くの池袋駅西口派出所まで同行を求められて同所で引き続き職務質問を受け、自分は練馬区《番地略》に住む翻訳業F′で、現金の入つた茶封筒に書かれているBはペンネームであり、所持していた預金通帳、郵便物に記載されているA子は一緒に住んでいる別れた妻の妹である旨、所持していた手錠はセックスの際に使うべく趣味で集めているものである旨弁解するとともに、所携の切出しナイフについては、セックスの際に相手を傷つけて楽しむ目的で所持している旨など述べたので、警察官は、銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪の現行犯人として被告人を逮捕しようとしたところ、被告人は「そんなに悪いことじやないでしよう。」などと抗議の姿勢を示したことを、それぞれ認めることができる。
そして、医師小田晋、同荒崎圭介は、こうした被告人の経歴、行動歴、被告人がB医師殺害を決意するにいつた経緯、本件各犯行の際及びその前後の被告人の行動、心理の動きなどをつぶさに検討したうえ、さらに被告人に対して、問診の他CTスキャン、脳波検査、臨床心理検査、フェノバルビタール服用実験などを重ね、これらの結果をもふまえて、その作成にかかる鑑定書ならびに原審及び当審における証言(以下、これらを総合して「小田鑑定」という。)において、(1)被告人は、元来、類てんかん病質ないしてんかん病質の人格障害者であり、強迫観念をもちやすい執拗な性格の持主であるが、本件各犯行は、B医師に対する怨恨、憤慨がこうした被告人の元来の性格と結びつき、強い被害者意識とこれを公憤化して世間に訴えようとの自己正当化をもたらし、これらに基づく支配観念が生んだ確信的行動として理解される、(2)被告人には、長年にわたる睡眠薬の服用による睡眠薬依存がみられることはたしかであるが、いまだ中毒性精神病とまでいえる状態には至つていない、(3)チングレクトミーにより、情動が鈍くなるなどの精神的不活発さが招来されることはあると思われるが、本件鑑定時の検査からして、被告人には、チングレクトミーによる脳器質性の痴呆ないし前頭葉症候群の存在は認められず、執筆能力の低下、性欲の減退などの形であらわれた手術後の無気力、無感動もその後相当程度回復していることからみて、可逆的な通過症候群と認められる。また、止血のクリップが精神状態に影響する部位にかかつている点は注目されるが、脳波検査でも異常なものは出ていないし、臨床心理検査や面接の結果にも、脳の器質的障害を疑わせる兆候は認められない(問診の際にも、怒りやあざけりといつた否定的感情ははつきり表わしており、感情的な反応性が全くなくなつているとは到底認められない。)、そもそもチングレクトミーにより脳器質性障害が招来されたとすれば、被告人の行動パターンが手術前と手術後で大きく変化している筈であるが、被告人の行動パターンには手術前と手術後とで大きな変化はないことからしても、チングレクトミーにより脳器質性障害が生じていないことは明らかである(被告人の前頭葉には少し萎縮がみられるが、この萎縮は年齢的なものからくる脳動脈硬化による脳血管障害によつてももたらされる程度の全般的な萎縮にすぎない。そもそも脳の機能は全体的に働いていて、脳の一部が破壊されても、その付近の部分がその機能をある程度代償する形でカバーするものである。また、行動の抑制能力を司る中枢は、チングレクトミーによる侵襲の部位とはかなり離れているから、チングレクトミーによつて抑制を司る部位が損傷されたとは到底考えられない。)、したがつて、本件各犯行はチングレクトミーによる人格変化に由来するものではない、(4)被告人は、本件各犯行当時フェノバルビタールを七〇錠も飲んだと供述しているが、右供述はその薬品名及び量に疑問がないわけではないうえ、右供述を前提としても、被告人が、生来の体質に加えて長年にわたる連用による耐性の上昇によつて、バルビツール酸系睡眠薬による酩酊には陥りにくい体質となつていることは服用実験からして明らかであるし、当時の極度の精神的興奮が睡眠薬の作用を大幅に減殺して意識障害の惹起を妨げたということも十分にありうるところである。現に、被告人の本件各犯行の際の被告人の行動をみるかぎり、意識障害はなく、見当識もよく保たれており、右行動は甚だ合目的的で、一貫性、まとまりのあるものであることに徴すると、被告人の酩酊は単純酩酊の範疇にとどまつているというべく、服用自体犯行を決意した後己を鼓舞するためになされたものであることを併せ考えるとき、本件犯行当時の睡眠薬の服用は、被告人の行動に本質的な影響を及ぼしたものとはいえない(もつとも、バルビツール酸系睡眠薬は、抑制を解除し、他人に対する同情心を麻痺させ、薬物起因性情性欠如状態を惹起することがあり、本件殺人のきわめて残忍で異様ともいえる手口と、その限度では関連しているかも知れない。)、(5)被告人がB医師殺害を企てながら、被害者両名を殺害するにいたつたのは、被害者両名に対してB医師殺害の計画を告知してしまつている以上、後日B医師殺害の目的を実行するためには被害者両名を殺害する他はないと考えたからであり、この被告人の心理的プロセスは成行きからして了解可能というべきであるが、さらに被害者両名とB医師との関係からいつて、被告人が被害者両名をB医師の片割れとして認識していたであろうことをも総合するとき、その心理的プロセスは自然な流れとして理解されうるものである、などと述べ、本件各犯行当時、被告人は、事理を弁識し、弁識に従つて行動する能力に著しい障害はなかつたと結論づけているのであるが、原判決は、この小田鑑定をほぼ全面的に受け入れる形で、被告人の完全な責任能力を肯定しているのである。
被告人の前述のような生活歴、行動歴をみるかぎり、原審において多くの識者が共通して指摘しているとおり、被告人には、自己顕示欲、ナルシスティックな自己の過大評価がきわめて強い、共感能力の欠如から感情移入ができず、そのため情緒性、罪悪感のきわめて乏しく、強迫観念にとらわれやすい性格、自己中心的、他罰的で、責を他に転嫁して自らをどこまでも正当化してゆく性格、自らの心身に受けた痛みにはきわめて過敏であるにもかかわらず、自らが他者に与えた痛みや苦しみには無神経であつて、攻撃性、爆発性を濃厚に秘めた、執拗にして狂信的な性格、社会のルールなどと調和、折合いを図つてゆく能力、あるいは、自己の体験からこうした社会のルールなどとの調和、折合いを図るこつを会得してゆき、社会的適応性を徐徐に身につけてゆく能力が著しく欠けた性格が色濃く認められるのであり、これは、いわゆるサイコパスの人格の典型に近いものがあるように思われる。そして、こうした被告人の性格的特徴は、被告人が薬物依存に陥る以前においても、恋愛問題から自殺未遂事件を起こしたり、自分が他人から手癖が悪いと思われているのではないかという強迫的な猜疑や性的禁欲が己の知的能力を高めるという独断的、狂信的な固定観念に強く支配されていたという事実からすると、薬物依存の結果新たに生み出されたものではなく、被告人が生来の気質として持つていたものであることは明らかである(この点について、原審における鑑定人の一人である逸見武光は、被告人が、薬物依存に陥つた後、しばしば甚だ粗暴な振舞に及ぶようになるとともに、金銭に対する強い執着を露呈した恐喝的な言動をもみせるようになつたことなどから、薬物依存による性格変化があつたとするのであるが、被告人の性格は、薬物依存に陥る前と後とで基本的には差異はなく、強い同一性、連続性が認められるのであつて、そこには断絶はないのであり、薬物依存に陥つた後において、被告人に前述のような粗暴な犯罪行為や恐喝まがいの行動がみられるようになつたことは、薬物の継続的な使用によつて被告人の羞恥心や抑制力が著しく減退し、右のような被告人の内面、被告人の性格がより直截に行動として表面化されるようになるとともに、被告人の内面にある攻撃性が対象を自己から他人に転移させることになつたにすぎないと認められるのである。いいかえると、被告人の場合、長年にわたる薬物の濫用は、被告人の性格を変容させたというのではなく、被告人の性格と被告人の行動の関係、その結びつきの態様を変化させたにすぎないのであり、また被告人には、生来右のような性格的特性があつたが故に、思春期に入り社会人となつた時点で、右の性格が被告人に対して極度の内面的緊張を強要し、被告人の情緒をきわめて不安定な状態に置く結果となつたのであり、そうした内面的な緊張からの解放、逃避を図るべく薬物依存に陥つたものであるとみるのが相当であることは、小田鑑定の指摘するとおりといわなければならない。)。
次に、チングレクトミーの影響についていえば、チングレクトミーが一部とはいえ脳に外科的侵襲を加えるものであり、しかも、被告人の脳には異物であるクリップが残存している以上、右手術の影響が相当程度被告人に残つたであろうことは確認するに難くはなく、現に被告人は右手術直後には粗暴な言動が影をひそめるとともに、自信喪失、挫折感、不眠等に悩まされるようになり、また、てんかん様の発作にもしばしば襲われるようになつて、著述の仕事にも苦痛を覚え手術前の五分の一程度の仕事量しかこなせなくなつているのである。しかしながら、右のてんかん様の発作は昭和五〇年ころにはおさまり、また、無気力、無感動の状態も相当程度回復して粗暴な行動が再び顕著にみられるようになるなど手術前の状態にほぼ回帰したような経過をたどつているのであり、被告人の行動パターンは、手術後の比較的短い期間を除いては、手術前と手術後とでほとんど差異がみられないこと、捜査段階及び原審公判廷における被告人の供述の内容や供述態度からは感情の起伏も十分にみられ、器質的障害を疑わせるようなものは全く窺われないこと、B医師がチングレクトミーを被告人に施すことにしたのは、被告人の粗暴性を除去して被告人に社会適応性を回復させんがためであり、被告人のためよかれと思つてしたことであつて、被告人自身もこうしたB医師の心情は十二分に知悉していたことに徴するとき、被告人がB医師に対して憎悪、怨念を募らせ強固な殺意まで抱くにいたつたその心情は、一般の人にとつては到底共感できないものであり、甚だ常軌を逸脱した、狂気じみたものを感じさせるものがあることはたしかであるけれども、前述のような被告人の特異な性格を前提とし、被告人が手術前これに対して強い拒否的態度をとつていたことや、被告人の右手術後の人生の歩みが、被告人本人にとつては社会にもうまく適応できず、しばしば事件を起こして服役を余儀なくされるなど挫折に次ぐ挫折であつて、被告人に強い劣等感、屈辱感、挫折感、自身に対する絶望感を植えつけるに十分なものであつたこと、とりわけマニラでの挫折は被告人としては再起を期しての渡航であつただけに被告人に致命的な挫折感を与えたと思料されることなどを総合するとき、こうした致命的な挫折感が被告人の自己を正当化して非を他に求める他罰的傾向と結びついてB医師に対する異常な憎悪にまで発展し、さらには殺意にまで飛躍していつたというその心理的プロセスはそれなりに十分了解できるものであつて、そこに精神的な異常さを窺わせるようなものは全くないというべきであること、被告人がB医師に対して殺意を固めて以後本件各犯行にいたるまでの間の被告人の行動、心理をみても、B医師の乗用車や家族構成の調査、ニトログリセリンや黒色火薬の製造のための行動、けん銃入手のための行動、デパートの配達員を装つてB医師宅に押し入り被害者両名を拘束するための各種の小道具の用意、B医師の殺害も同人に死の恐怖感を十分に味あわせるべく、同人に対して殺害の理由をじつくり告知し、さらに同人に思うさま屈辱感を味あわせるべく同人をして被告人に対するチングレクトミーの施行が誤りであり、その非を全面的に認める旨の書面を書かせたうえで敢行しようと企図していたこと、B医師殺害の理由をしたためた新聞社宛ての犯行声明文まで用意したことなどをみると、被告人のB医師に対する怨念、憎悪がいかに強烈なものであり、被告人の同人に対する殺意がいかに強固なものであつたかを窺わせるに十分なものがあり、被告人の執拗さには戦慄を禁じえないものがあるけれども、前述のような被告人の自己顕示、自己正当化の傾向が強く、他罰的で執拗かつ狂信的な性格と、被告人が抱いていたであろう全人格的な挫折感、屈辱感とを前提とするかぎり、心理的にも十分に了解できるところであり、また、B医師殺害という単一の目的に己の全生活を捧げようとしていた被告人にとつてはこれらの行動は入念、綿密に計算された巧妙なもので、きわめて合目的的、合理的で統制のとれたものというべく、この点にも精神の異常を疑わしめるようなものはいささかもないこと、B医師宅に押し入つて被害者両名を殺害している点も、当夜被害者両名を縛りあげ、B医師殺害の意図及び理由を被害者両名に告知した後、B医師が当夜帰宅しないことを知つた被告人としては、後日B医師を殺害するためには被害者両名を殺害する以外に途はなかつたのであつて、B医師に対する強固な殺意を抱いている被告人としては、予期していなかつた事態に直面した中で目的を貫徹するための、ある意味では当然の対応というべく、この点でも現実を直視した冷徹な思考は貫かれているのであり、その後の偽装工作や職務質問に対する対応を含めて、そこには現実から遊離した思考などは全くみられないことなどを総合し、前述のように小田晋、荒崎圭介の実施した脳波検査、臨床心理検査、CTスキャンによる検査からも、脳に器質的障害があることを窺わせるような兆候は全く現われていないことを併せ考えるとき、チングレクトミーによつて被告人に脳器質的障害がもたらされ、被告人に人格変化が招来されたことはないとの小田鑑定は十分に首肯できるところと思料されるのである(この間の被告人の行動のうち奇異な感じを与えるものとしては、自らの力でニトログリセリンや黒色火薬を製造しようとしたり、モデルガンを自らの手で殺傷能力のあるものに改造しようとしたことや、新型エンジンの設計に取り組んだり、チングレクトミーを主題にした小説を書きあげようとしたことがあげられる。そして、前記逸見武光が非現実的思考とか夢幻性とかを云云しているのも、被告人のこうした行動が現実離れの印象を否めないものであるところにもよるもののように思われるのである。
しかしながら、被告人のこうした行動は、前述のような被告人のナルシスティックな自己の過大評価がきわめて強固な性格の発露として、被告人が的確な自己認識をすることができず自分の才能は何をすることも自分をどんな人間になることも可能にするとの非現実的な観念、思考に支配されていること、前述のような被告人の社会的適応性への学習能力の欠如も、被告人が社会生活の積み重ねの中で、右のような観念、思考をより現実性のあるものに是正してゆく機会を奪つてきたであろうと思料されることなどに起因すると認められるのである。いいかえると、被告人のこうした行動は、被告人の前述のような極端な性格の偏りによるものとして十分に理解できるものというべきであつて、被告人の精神に何らかの異常があつて、そのために現実と夢想、空想とがけじめがつかなくなつたり、思考が現実から遊離してしまつたりすることによるものではないことは明らかであるといわなければならない。B医師殺害を決意する以前においても、被告人は、自らの片足を切断するような事故を起こして労災保険金を得ようとしたり、著述に専念できる静かな環境の借家を得ようとして強盗をするなどの奇異な行動に出ているのであるが、これも、被告人が甚だ自己中心的で攻撃性、爆発性の強い、情緒的にもバランスを欠きやすい狂言的で強迫観念にとらわれやすい性格、金銭に対する執着心が病的に強い性格の発露として十分に理解できるものであり、そこに現実から遊離した思考が介在しているわけではないし、チングレクトミー施行前の、自殺未遂、各種の強迫神経症的思考、さまざまな態様による粗暴な行動、恐喝まがいの行動など一連の被告人の行動とも軌を一にするものにすぎない。)。
次に、本件各犯行の際及びその前後における大量の睡眠薬の服用の影響について考察する。
本件各犯行の際及びその前後の被告人の行動が、きわめて合目的的で、統制のとれたまとまりのあるものであり、その間の被告人の心理的プロセスも被告人の性格や心情を前提とするかぎりそれなりに了解できるものであつて、精神的な異常さを疑わしめるような点はいささかもないことは前述のとおりであり、しかも被告人がこの間の自己の行動をその場その場での心理状態をも含めて詳細かつ正確に供述していることに徴するとき、当時の被告人の意識には何らの障害はなく、見当識も十分に保たれていたことは明らかであるといわなければならない。また、被告人が本件犯行の直前に激しい神経性の下痢に襲われたという事実は、当時の被告人が是非善悪を判断し、これにしたがつて行動するだけの判断力、抑制力をも備えていたことを物語つているというべきである。
被告人が当時かなりの睡眠薬を服用していたにもかかわらず、このように意識の障害にも見当識の異常にも襲われなかつたのは、小田鑑定も指摘しているとおり、被告人の生来の体質が睡眠薬に対する強い耐性を備えていたうえ、長年にわたる睡眠薬の連用によつてさらに耐性が強化されて睡眠薬による酩酊には陥りにくい状態になつていたこと、被告人が当時服用したカフェインも睡眠薬の作用を減殺する方向に作用したであろうことに加えて、被告人が当時極度に緊張、興奮した心理状態の下にあり、こうした心理状態が睡眠薬の作用を大幅に減殺したであろうことなどの原因が競合した結果に他ならないと認められるのである。そして、本件各犯行当時の被告人の意識、見当識が右のような状態にあつたと認められる以上、被告人の睡眠薬による酩酊は単純酩酊の状態にすぎなかつたことも、小田鑑定が指摘しているとおりといわなければならない。
ここで、小田鑑定に関する弁護人の主張について、若干付言することとする。
まず、弁護人は、(1)小田鑑定人が、その原審証言からしても、きわめて偏つた考え方の持主であつて、ことさらに被告人に不利益な、不公正な鑑定をする危険が十分に予測された人物であり、そもそも鑑定人としての適格性を欠いているというべきであること、(2)CTスキャンでは金属性クリップが写らないことは専門家にとつては自明の事柄であるのに、小田鑑定人は、このような基礎的な知識さえ欠き、自らの実施したCTスキャンにおいて金属性クリップの影像が明確に出ていないことをもつて、直ちに金属性クリップの存在を否定するかの如き供述をしていること、(3)小田鑑定人は、脳波検査は平成元年九月二〇日に筑波大学附属病院において実施した旨供述しているのであるが、被告人の身柄の押送指揮依頼書によれば、同月四日に県南病院において脳波検査が行われる予定であつたことが認められるのであり、したがつて、脳波検査は県南病院でも実施されたと推認されるにもかかわらず、小田鑑定では、この県南病院での脳波検査の結果がことさらに無視されているのであり、これはおそらく右脳波検査において、小田鑑定の結論と抵触する所見がみられたことによるものと思料されること、(4)小田鑑定では、チングレクトミーの後遺症としての前頭葉の大脳辺縁の機能低下と薬物依存との複合的な影響についての総合的な考察がなされていないことなどの諸点からして、小田鑑定が信用できないものであることは明らかであると主張する。
まず、(1)の主張についていえば、小田鑑定人は、原審証言において、精神医学界の一部にみられる驚くべき内幕の一端を述べるとともに、本件鑑定にあたつても、こうした精神医学界の内情から自分に圧力がかかることも予期して気が重かつた旨供述しているのであるが、同人は、このような周囲の圧力に屈服したり、あるいは逆に反発したりすることなく、あくまでも公正中立の立場から慎重に鑑定を進めた旨明言しているのであつて、このことは鑑定書の記載内容からしても首肯できるところであるし、同人の原審証言、とりわけ原審弁護人の入念な反対尋問に対して供述しているところからも明らかなところといわなければならない。この点に関する所論は採用のかぎりではない。
また、小田鑑定人は、CTスキャンには金属性クリップが写らない場合もあるということを明確に認めているのであり、自らの実施したCTスキャンに金属性クリップの影像が出ていないことから直ちにその不存在を推認しているわけでもないことは、その証言内容からも明らかなところというべきであるから、(2)の主張もことさらに小田鑑定人の原審証言を歪曲したうえこれを攻撃するものにすぎず、到底採用できないものというべきである。
また、(3)の主張についていえば、確かに、所論指摘の関係証拠によれば、当初被告人の脳波検査は、平成元年九月四日に県南病院で実施されることが予定されていたことが認められるのであるが、その余の関係書類によれば、その後予定が変更され、結局脳波検査は同月二〇日と二七日に実施されている(小田鑑定人の供述によれば、同月二〇日には薬物を投与しないで行なつた脳波検査がなされ、同月二七日には薬物を投与して行なわれた脳波検査がなされたことが認められる。)ことが認められ、さらに小田鑑定人の供述をも総合するとき、同月四日には被告人の脳波検査は実施されていないことが認められるのである(このことは、被告人の身柄が平成元年九月一八日に東京拘置所から土浦拘置支所に移監されている事実によつても、裏付けられているところである。)から、この点に関する所論は、その前提を欠くものといわなければならない。
また、小田鑑定は、その記載ないし供述からして、本件犯行の際及びその前後における被告人の行動や、問診、CTスキャン、脳波検査、各種の臨床心理検査、フェノバルビタール服用実験の各結果などを総合的に考察吟味してなされたものと認められるのであつて、決して所論が強調するようなずさんなものではないことも疑いをさしはさむ余地のないところというべきであるから、(4)の主張も採用できず、小田鑑定の結論とそこにいたる推論の過程で指摘されているところはすべてこれを是認することができると認められることは前述のとおりといわなければならない。小田鑑定を攻撃する弁護人の各主張はその余の主張を含めてすべて排斥を免れない。
次に、弁護人は、原判決が、逸見武光作成にかかる鑑定書及び同人の原審証言(以下、これらを総合して「逸見鑑定」という。)を採用できない理由としてるる説示している点に関し、(1)逸見鑑定人が、本件犯行当時被告人がもうろう状態にあつたと判断される理由として、被告人には本件犯行当時及びその前後の事情についての記憶が十分ではない旨述べている点について、原判決は、被告人の捜査段階における司法警察員に対する各供述調書の記載内容からして、被告人にはこれらの点につき十分な記憶があることは明らかであり、逸見鑑定人の右判断はその前提を欠くものであるとしているのであるが、被告人のこれらの捜査段階における供述をつぶさに検討すると、供述調査の記載内容は、回を追うにしたがつて、次第に詳細で整合性のあるものに変わつていつており、そこには取調官の強い誘導、示唆が働いていることが明白に看取されるのであるから、これらの供述記載が詳細であるなどの理由から、被告人に本件犯行当時及びその前後の自己の行動についての鮮明な記憶があるなどとは到底いえないのであつて、原判決の右説示は当を得ていないものという他はない、(2)原判決は、逸見鑑定人が、月給袋だけ取りその中身を取つておらず、また、預金通帳だけを取り、その払戻に必要な印鑑を取つていないなどの被告人の行動を異常なものと断じているとして、これを論難しているのであるが、逸見鑑定人は原判決が説示しているように被告人のこれらの行動を異常なものと断じているわけではなく、原判決の右説示は、逸見鑑定人の証言を歪曲してこれを立論の前提としているものといわざるをえず、到底承服できないところというべきである、(3)また、原判決は、乙山保養院の関係者が被告人の在院当時被告人の薬物濫用を看過していた旨の逸見鑑定人の供述につき、原審記録中にこれに反する記載がなされた書証が存在しているとして逸見鑑定人の右供述を根拠のない憶測にすぎないとして一蹴しているのであるが、原判決の指摘する書証は、とるに足りない、証拠価値の乏しいもので、かつ、その記載もごく短いものにすぎず、逸見鑑定人の右供述を覆すに足るものとは到底いえない、(4)原判決は、本件犯行当時の被告人の行動がきわめて合目的的で統制、まとまりのとれたものであるとし、これを当時の被告人が完全な責任能力を備えていたことの一証左に他ならないとしているのであるが、被告人はB医師の殺害を企図して現場に赴きながら、わずか二時間半ほど同人の帰宅を待つたのみで、企図していなかつた家人二名の殺害に及んでいるのであつて、被告人のこの行動は甚だ行きあたりばつたりの非合理きわまりないものという他なく、原判決の右説示は到底首肯できないものといわなければならないなどと主張する。
しかしながら、被告人の捜査段階における司法警察員に対する各供述は、当初の段階からすでにかなり詳細なものであつて、後の取調べにおけるものほど詳細になつているといつた状況は全く窺われないし、事実関係の流れや他の関係証拠との整合性という点でも、後の供述ほど整合性が高いといつた事情も全く存在しないのである。これらの供述には、時間的な前後によつて自己矛盾が生じているといつた事情も認められないこと、その供述内容も、それぞれの時点での己の心情も吐露した、きわめて具体性、迫真性に富んだものであること、現に被告人が原審公判廷において本件犯行及びその前後の状況について供述するところも自己の個個の行動とこれに対する被害者両名の対応をその間の自己の心理とともにきわめて具体的かつ克明に述べているのであつて、自己が用意していつた小道具の一つ一つについても、携行していつた理由や現場での使用状況をつぶさに述べていること、個個の行動がなされた時刻についても分刻みの厳密な供述をしていること、当時の現場の間取りなどの具体的状況や自己の服装などについても克明に述べていること(逸見鑑定では、被告人は被害者C子殺害の時点で完全健忘の状態にあつたとされているのであるが、被告人はこの時点における己の行動についても、きわめて具体的かつ詳細に供述しているのである。)、また、被告人は、原審公判廷において、捜査段階における自己の一連の供述につき、すべて記憶どおりに話したもので、記憶違いや勘違いはないし、捜査官が自己の供述を無視して勝手に作文をして調書に記載したことも全くなかつた旨明確に供述していることなどを併せ考えるとき、被告人の捜査段階における供述が、被告人自身十分な記憶がないところを、取調官が強い誘導、押しつけにより補つたものではないことは明白であるというべく、この点に関する原判決の説示は正当であつて、(1)の主張は理由がないことは明らかであるといわなければならない。
次に、(2)の主張についていえば、逸見鑑定人の証言をつぶさに検討すると、弁護人の誘導尋問に応じた形であるとはいえ、逸見鑑定人は、被告人が月給袋だけ取つてその中身を取らなかつたことや、預金通帳だけを取り、その払戻に必要な印鑑を取つていないことにつき、異様な行動であり、バルビタールによるもうろう状態によるものと断じていることは明白であつて、原判決のこの点に関する理解は正しく、所論のような歪曲はないのであるから、所論は採用の限りではない。
また、乙山保養院の関係者が、被告人の入院当時に被告人の薬物濫用の事実を知つていたことの証左として、原判決が指摘する書証は、乙山保養院作成の都知事あて昭和四〇年九月二五日付の被告人についての精神障害者仮退院許可申請書の写であるが、右書証には、明確に「眠剤乱用」と記載されているのであつて、原判決がこれを乙山保養院関係者のこの点についての当時の認識を示すものであり、B医師のこの点に関する同旨の供述を補強するに足りるものであると判断したことはもとより正当というべく、これを証拠価値の乏しいものとみる余地は全くないのであるから、(3)の主張も採用できない。
さらに、(4)の主張についていえば、被告人がB医師を殺害すべく本件現場に赴き、被害者両名を縛り上げたうえ、同人らに同医師殺害の計画と理由とを告知し、同医師の帰宅を待つ内、被害者A子から当夜同医師が帰宅しない旨を告げられるや、このうえは、被害者両名を殺害して、先に物色発見していた現金等を奪つて後日同医師殺害を実行するまでの間の逃走資金、生活資金にしようと決意するにいたつたという経緯は、すでに被害者両名に自分の名前と同医師殺害の計画、理由を告知してしまつている以上、被害者両名を生かしたまま逃走すれば、自分が逮捕されることは必至であり、同医師殺害の機会も永久に失われてしまうことが明白である以上、前述したように、予期していなかつた事態の推移に即応した被告人の対応としては、きわめて合理的なものであつて、心理的プロセスとしても、ごく自然なものといつてよく、こうした被告人の行動からすれば、当時の被告人の酩酊は単純酩酊の範疇にとどまつており、意識障害もなく、見当識もよく保たれていたことは明らかであることは前述のとおりといわなければならない(所論は、被告人が被害者両名を繰り上げてから被害者両名の殺害を決意するにいたるまでの約二時間半が、ごく短いものであり、この短い時間の内に鉾先を同医師から被害者両名に変えている点で行きあたりばつたりの非合理な行動であるというのであるが、前述のように、被告人は同医師殺害の意図を放棄して被害者両名の殺害を決意したわけではなく、むしろ同医師殺害の意図を貫徹せんがために被害者両名の殺害をも決意するにいたつたものであり、所論は被告人の意図を歪曲して立論の前提としているといわざるをえないし、また、二時間半という時間も同医師の帰宅を今か今かとはりつめた心理状態で待つていたであろう被告人の立場からすれば、所論がいうように、決して短いものではなかつたというべきであり、所論はすべて失当といわざるをえない。)。右主張もすべて排斥を免れない。
さらに、弁護人は、原審弁護人の各主張を踏襲して、逸見鑑定などに依拠して、(1)被告人は長年にわたる睡眠薬濫用によつて性格変化をきたし、判断力が低下して爆発性を帯びるにいたつたものである、(2)また、被告人は、チングレクトミーを施されたことにより前頭葉の機能が低下し、高等感情の鈍麻、自己の行動を抑制する能力の減退が招来されたものである、(3)本件各犯行の際及びその直前における大量の睡眠薬の服用が、被告人に強い意識障害を伴つた中程度の酩酊状態、もうろう状態をもたらしていたものである、として、被告人は本件各犯行当時右のような精神状態にあり、現実的な選択肢はいくつもあつた中できわめて不適切、不合理な選択をする形で本件各犯行に及んだものであり、少なくともいわゆる心神耗弱の状態にあつたことは明らかであり、小田鑑定は右の(1)ないし(3)の点を不当に軽視ないし過少評価するものであるなどとも主張する。
しかしながら、逸見鑑定は、被告人が乙山保養院に入院した当時すでに薬物依存に陥つていたことが看過されていたとか、被告人が本件犯行の際月給袋だけ取つて中身は取つていないとしている点など明らかに記録の精査を怠つた結果事実を誤認したものといわざるをえない点が少なくないこと、同人は、本件犯行の際の被告人の行動に非現実的思考、夢幻性がみられるとしている点も、むしろ被告人の当時の行動は終始現実を直視する冷徹な思考、心理に貫かれているのであり、そこには現実から遊離した思考、夢想と現実との混同ないし同一視と目すべきものは全くないといわざるをえないことは前述のとおりであつて、同人の見解は被告人の本件犯行時の行動の実態を直視していないものと評せざるをえないこと、同人が、被告人はチングレクトミーの施行により、訴えにとりとめがなく、まとまりを欠くようになり、表情も乏しいものとなつており、このことは被告人の己の行動を抑制する能力が著しく減退していることを意味するとしている点も、被告人の捜査段階及び原審公判廷における被告人の供述内容や供述態度からして、被告人の感情の動きや表情が決して同人の供述するようなものではないことは明らかであるといわざるをえないこと、また、被告人が本件犯行の直前に激しい神経性の下痢に悩まされたという事実のみからしても、被告人には是非善悪を判断し、これにしたがつて行動する能力がそれなりにあつたと認めざるをえないことは、いずれも前述のとおりであつて、同人の見解はこの点でも現実の被告人の姿や本件各犯行の際の被告人の具体的行動をふまえていないものといわざるをえないこと、また、同人が被告人は本件各犯行当時の己の行動、とりわけC子殺害の状況について完全な健忘に陥つているとしている点も、前述のように被告人の本件各犯行に関する自白を無視するものといわざるをえないこと、被告人の行動パターンをつぶさに考察するとき、前述のように被告人の性格は、薬物依存に陥る前と後とで基本的には何ら変わつておらず、被告人の性格が行動に表れる形態が変わつたにすぎないのであり、その意味で被告人の場合、薬物の影響が被告人の人格の中枢にまで及び性格変化をもたらしたものではないと認められること、いいかえると、被告人の度重なる粗暴な犯罪行為、その頂点としての本件各犯行は、本質的には被告人の自己中心的で攻撃性、爆発性の顕著な生来の性格、情緒的に極度に不安定で強迫的な生来の性格が、そのままストレートに発現されたものに他ならず、被告人の薬物依存はこうした被告人の生来の性格が行動に発現されるのを容易にし、助長したにすぎないと認められること、同人の(2)の見解も、同人自身がチングレクトミーにより自己の行動を抑制する能力が衰えることを証明した研究は見あたらないと述べていること、B医師が術後の知能検査では被告人の知的能力にレベルダウンはみられなかつたと述べていること、小田鑑定がチングレクトミーによる侵襲の部位は行動の抑制能力を司る中枢とはかなり離れており、チングレクトミーにより前頭葉に重大な機能損傷が生ずることはない旨明言するとともに、鑑定時の諸検査からも脳器質性の痴呆ないし前頭葉症候群の存在は否定できるとしていることなどに加えて、そもそも前述のように術前と術後とで被告人の行動パターンにあまり大きな違いがみられないことなどに照らし、やはり被告人の知的能力の現状を的確に把握したものとは到底いいがたいことなどに照らすとき、被告人の本件各犯行の際及びその前後における具体的行動とこれに対する被告人の捜査段階及び原審公判廷における供述の内容、供述態度を十分にふまえたものとはいいがたく、小田鑑定の見解と抵触する部分は採用できないものといわざるをえないことは原判決が指摘しているとおりというべきである(なお、医師青木薫久及び同佐藤順恒の各証言についていえば、同人らはいずれも逸見鑑定にほぼ沿うニュアンスの供述をしており、これらの供述についても、逸見鑑定につき前述したところがそのままあてはまるというべきであるが、このうち被告人の脳にクリップが残存しているのは、被告人がチングレクトミーだけではなく、患者に意識障害をもたらすことにより社会の治安を守ることを意図した前大脳動脈結紮術をも受けたことを物語つているとか、本件犯行につき金品をとることは目的ではなかつたと推測される旨の青木薫久の証言について念のため付言するに、まず金品奪取の意図云云の部分が被告人の捜査段階及び原審公判廷における各供述に照らして到底採るをえないものであることは原判決の説示しているとおりというべきであるし、社会治安を目的とする前大脳動脈結紮術云云の供述も、被告人の知的能力についての何らの客観的な検査等を経ないまま述べた憶測にすぎないことを青木自身が自認していること、B医師をはじめ被告人のチングレクトミーに関わつた医師らが一致して否定しているところであることは勿論、青木の立論とほぼ基調を同じうしている逸見鑑定においてもこのような指摘はなされていないこと、のみならず、各種の客観的な検査の結果をふまえて考察している小田鑑定が明確に否定しているところであること、そもそも前述したように、被告人の本件各犯行の際及びその前後の行動からは被告人の意識障害をいささかでも疑わしめるような点は全くないことなどに照らして、独断、謬見にすぎないといわなければならず、右供述も採用できない。)。弁護人の右各主張もすべて排斥を免れない。
なお、弁護人が弁論において新たに主張するにいたつた点についても、念のため付言するに、弁護人は、(1)医師W′が昭和四六年五月ないし六月ころ被告人に対して行なつた脳波検査においても逸見鑑定におけると同様に徐波が出現しているのであり、これらの事実からすれば、仮に小田鑑定の際の脳波検査において同様の所見がみられなかつたとしても、本件犯行の時点により近い時期になされた医師W′の脳波検査の所見と逸見鑑定の際の所見の方が本件犯行の際の被告人の責任能力を判定するうえで重視されてしかるべきであるというべく、原判決がこの点でも小田鑑定を採用しているのは納得できないところといわなければならない、(2)被告人がC子を刺した回数や預金通帳のあつた場所について正確な記憶がないと述べていることや、被告人が被害者方を立ち去るにあたつて、新聞購読料の領収書など明らかに不必要で足のつきかねない危険なものを取りながら、他方では台所の椅子の上に紙幣を置いたままにしていたことなどからすれば、被告人が当時意識にかなりの障害があつたことを物語つていることは明らかであるなどと主張するのであるが、小田晋は、当審における証人尋問において、自らの実施した被告人の脳波検査においては、徐波の混入は認められなかつた旨再確認するとともに、仮に自分が実施した被告人の脳波検査において徐波の混入が認められたとしても被告人の本件犯行当時の意識状態に関する自分の鑑定の結論には何らの影響も及ぼすものではない、なぜなら、人格障害者の場合、意識障害がなくても、脳波に徐波の混入がみられることは少なくないのであつて、徐波の存在のみから意識障害を推認することはできない旨明確に供述しているのであつて、同人が脳波所見と意識状態との関係につきケースを分けて具体的に説明しているところを総合するとき、同人の右指摘は十分に首肯できるところと認められるのであるから、右(1)の主張は採用できない。
次に、(2)の主張についていえば、当時被告人が極度の緊張、興奮に支配されていたであろうと思料されること、とりわけ、B医師を殺害する目的で侵入した被害者方においてあらかじめ考えてもいなかつた被害者両名の殺害にふみ切らざるをえない破目に陥つたことからくる心理的動揺、焦りも被告人にはあつたと思料されることや、被告人が当夜はじめて被害者方に侵入したものであつて、被害者方居宅の間取りその他の状態について何らの予備知識も有していなかつたことなどを総合するとき、所論指摘の事情の如きは決して不自然不合理とまではいえないことは原判決の説示しているとおりといわなければならず、直ちに当時の被告人の精神状態に異常があつたことを窺わせるものとは到底認められない。前述のような被告人のきわめて周到綿密な事前準備の状況、本件各犯行の際及びその前後における被告人の行動が冷静、沈着かつ巧妙で、事態の推移に即応したきわめて合目的的で統制のとれたまとまりのあるものであること、被告人自身己のこれらの行動やそれぞれの時点での自分の感情、思いについて大筋において鮮明かつ正確な記憶を保持していることなどに徴するとき、本件各犯行当時の被告人には何らの意識の障害も見当識の異常もなかつたことは前述のとおり明らかであるというべく、右主張は採用できない(その他、弁護人が小田鑑定につきその信用性をるる攻撃するところは、いずれも枝葉末節の点、あるいは小田晋が原審及び当審において明確に答えている点をいたずらに論難するものにすぎず、同様に排斥を免れないところというべきである。)。
以上の説示からすると、弁護人のその余の主張につき按ずるまでもなく、被告人の精神状態につき小田鑑定にほぼ全面的に依拠して、被告人が本件各犯行当時いわゆる心神耗弱の状態にはなかつたものと認定した原判決の事実認定が正当であることは明らかであつて疑いをさしはさむ余地のないところというべく、所論は採用できない。論旨は理由がない。
第四 検察官の量刑不当の控訴趣意について
検察官の所論は、要するに、原判決の量刑は軽きに過ぎて不当であり、犯情にかんがみるとき、被告人に対しては死刑をもつて臨むべきであるというのである。
そこで、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討すると、本件は、前判示のとおり、かつてチングレクトミーの手術を施された被告人が、右手術の結果社会適応能力を完全に奪われたものであるとして、絶望のあまり自殺しようと考えるようになつたが、右手術に関与した主治医に対する憎しみ、恨みから自殺する前に同人を殺害しようと決意するにいたり、切出しナイフ等の凶器を準備携帯して同人宅に押し入り、同人の妻及び義母を捕縛して同人の帰宅を待つたが、やがて同人が帰宅しないことが判明したため、同人の殺害は後日に延ばすこととし、その際事情を知つた右家人二人を口封じのために殺害するとともに、同人の殺害を遂げるまでの間の逃走資金、生活資金とせんがため相当額の現金等を奪つたという特異な事案である。
まず、その動機の点から考察する。
前述のように、被告人は、自己顕示性がきわめて強く、攻撃性、爆発性を濃厚に帯びた、甚だ自己中心的、他罰的で、かつ、情緒的にもきわめて不安定で、狂信的なパーソナリティの持主であり、そのため若年のころから強迫神経症に悩まされていた者であるが、やがて睡眠薬を用いれば過剰な羞恥心、自意識から解放され、強迫神経症の症状に悩まされることも少なくなることを知つて、じ来これを濫用するようになり、しばしば暴力事犯を起こすようになつたところから、措置入院により乙山保養院に収容されることになつたが、精神療法等の治療もうまくいかなかつたため、その攻撃性、爆発性を除去して社会的適応性を回復するための最後の手段としてチングレクトミーが施されるにいたつたものである。被告人は、右手術後、一たんは爆発性、攻撃性が消褪したものの、他方で、甚だ無気力となつて自信喪失、挫折感、不眠等に悩む精神衰弱状態に陥り、また、てんかん様発作にもしばしば襲われるようになつたが、間もなく、てんかん様発作もおさまり、精神衰弱状態も相当程度回復するにいたつた反面、再び爆発生、攻撃性が顕著にみられるようになつて、さらに前科を重ねるなど右手術前とほぼ同じように社会にうまく適応できない生活を送つているうちに、実弟の世話でフィリピンの会社に技術者兼通訳人として就職することになり、被告人は、今度こそは自分を生かし、再起更生する絶好の機会であると考え、意気込んでフィリピンに渡航したけれども、現地での生活や人間関係にうまくなじめず、また、自己の能力不足を思い知らされる局面にもしばしば遭遇して自信を失い、睡眠薬やアルコールに耽溺してうさを晴らすなどしているうち、さまざまな問題を引き起こし、結局極度の挫折感、屈辱感、絶望感のうちに帰国せざるをえない破目に立ちいたつたもので、この間、被告人は、しばしば自分のこのような挫折は、チングレクトミーを施されて知力が衰え、無気力、無感動になり生活基盤を完全に喪失したために他ならず、かつての主治医が今少し慎重に判断しておれば、右手術が不要不急のものであることは容易に判断できた筈であるのに、同人が軽率性急にもチングレクトミーを施したため、自分はいわば廃人同様の壌遇に陥つたのであり、自分は同人によつて一生を棒にふることになつたものであると考えるようになり、同人に対する憎悪、怒りを次第に募らせていたのであるが、フィリピンからの帰途、被告人はついに極度の挫折感、絶望感から自殺しようと思いつめるにいたり、その際右のような同人への憎しみ、怒りから、自分が自殺する以上、自分をこのような境遇に追いこんだ同人を報復のため殺害して自殺の道連れにしようと決意するにいたつたというものである。
このチングレクトミーの施行についていえば、現在では、有効な治療薬が開発されたこともあり、このような精神外科手術は行われなくなつてきており、専門家の間でも否定的見解が支配的となつているようではあるけれども、当時においては、他の治療法を尽した後の最終的な措置としては一般に是認され、現に少なからず実施されていたのであつて、当時のこうした精神医学界の一般的趨勢に照らせば、本件の場合に、被告人の精神状態や行動を長期間にわたつて入念に観察し、その結果をふまえ、他の専門家とも十分に協議検討をしたうえ、被告人の粗暴性を除去し、その社会適応力を回復するためには、やむをえない最善の措置であると信じてチングレクトミーの施行にふみきることとした医師の措置には何ら非とすべき点がないことはいうまでもない。
また、被告人の性格や行動パターンをチングレクトミー施行前と施行後に分けて両者を対比するとき、右手術直後の右手術の後遺症に悩まされた数年を別にすれば、そこにはきわだつた差異が見出せないことは前述のとおりであつて、このことからすれば、被告人が仮にチングレクトミーの手術を受けなかつたとした場合に歩んだであろう人生は、被告人がチングレクトミーの手術を受けた後実際にたどつた人生の歩みとは、さほど大差のあるものではなかつたであろうと思料される。いいかえると、被告人がチングレクトミーを受けたがゆえにより不幸な人生を歩まざるをえなかつたとは到底認められないのであつて、チングレクトミーを受けた後に被告人が実際に体験した、さまざまな社会的不適応や挫折は、チングレクトミーが生んだものではなく、前述のような被告人のきわめて特異な性格と極端な薬物依存の生活とが競合してもたらしたものに他ならないと理解されるのである。したがつて、被告人がチングレクトミーの施行にふみ切つたB医師に対して恨みや怒りの感情を抱いたことは、いわゆる逆恨み、忘恩に他ならず、是認さるべくもないところという他はない。いわんやその恨みからB医師に対して強固な殺意まで抱くにいたつた被告人の心情は、まことに自己中心的、他罰的であるという他はなく、常に自ら正当化して責を他に転嫁してかえりみない被告人の高慢かつ狂信的な性格、人格態度の発露と評するの他はなく、動機の点において酌むべきものは全くないといわなければならない。
しかも、被告人は、この医師本人を殺害したのではなく、何らの関係のない家人を二人までも殺害したものであつて、その態様もいずれも両手両足に手錠をかけ、ガムテープ等で両目、口を塞ぎ、さらに口に猿ぐつわをするなどして身体の自由を奪つたうえ、後日あらためて医師を殺害するという目的から口封じのためにいずれもその側頚部を鋭利な切出しナイフで切り裂き、さらにとどめを刺すべくその心臓部を数回突き刺すという、きわめて残忍な手口で情容赦もなくその生命を奪つたというものであつて、兇悪きわまりない犯行という他はなく、血の海となつたその現場は地獄絵さながらの凄惨をきわめたものであり、苦悶のうちに絶命した被害者両名の死顔には戦慄を禁じえないものがあるといわなければならない(この犯行の残忍さは、前述のように、被告人が当時服用した大量の睡眠薬が被告人の情性を低下させ同情心を麻痺させている作用をしたことによるという一面があることは否定できないけれども、被告人のこの睡眠薬の服用は、被告人自身が本件各犯行に及ぶにあたつて、自らの抑制力を弱め、犯罪遂行のための行動力を自らに賦与する意図の下になしたものである以上、この点を被告人のために酌むべき事情の一つとみる余地は全くないといわなければならない。)。そのうえ、被告人は、被害者両名を惨殺した後、その現場から、後日医師殺害を遂げるまでの間の逃走資金、生活資金とする意図の下に、多額の現金と預金通帳とを奪つているのであつて、この点も極めて悪質な所業と評するの他はない。
被害者両名はいずれもこれまで平穏な人生を歩んできた者であるが、突然安らぎの場であるその家庭において、いわれなく惨殺されるにいたつたもので、その苦しみ、無念さには筆舌には尽しがたいものがあつたと思料され、また、殺害される直前、被告人にナイフを突きつけられて手錠をかけられ両目と口とを塞がれた状態で、被告人からB医師へのいわれなき恨み、つらみを聞かされた末同医師殺害の計画を告げられ被告人とともに長時間を過ごすこととなつたその間の被害者両名の恐怖と不安をも併せ考えるとき、被害者両名の心情は察するにあまりあるものがあるといわなければならない。当夜遅くに帰宅して被害者両名の変わり果てた姿を目のあたりにしたときのB医師の衝撃と悲嘆、さらには、その加害者は自分のかつての患者であつて、自分がその患者のために最善の措置であると信じて施した精神外科手術を恨んで自分を殺そうとし、自分が不在であつたがために被害者両名がまきぞえになつて殺害されるにいたつたものであることを知つた時のB医師の驚愕、痛憤にもまことに筆舌に尽しがたいものがあり、その心情には同情の言葉もないまでの悲痛きわまりないものがあると思料されるのであつて、同人が被告人に対して極刑を強く望んでいたのも、遺族の感情としては、まことに無理からぬところといわなければならない。
また、B医師に対する殺人予備の所為も、きわめて強固な殺意にもとづき、長期間をかけて、殺害計画をねり上げ、きわめて綿密周到な準備を重ねて敢行されたものであるが、右計画におけるB医師殺害の方法は、B医師の両手足に手錠をかけて抵抗できないようにしたうえ、同医師にチングレクトミーの施行が誤りであつたことを認める謝罪文を自書させた後、切出しナイフで同医師の指を一本ずつ切りおとしてゆき、同医師に死の恐怖と肉体的苦痛、屈辱感を極限まで味あわせたうえ殺害しようという残忍きわまりないものであり、たまたま同医師が不在であつたために実行に着手されるにはいたらなかつたにすぎず、このような事情がなければ、間違いなく被告人が企図したとおりの態様で殺害が実行されたであろうと推認されるのであり、また、本件各犯行後警察官によつて職務質問をきつかけに逮捕されるという僥倖がなければ、被告人が後日必ず同医師殺害の挙に出て、目的を遂げていたであろうとも推認されるのであり、その犯情はまことに悪質という他はない。
さらに、本件は、精神外科手術を受けた元患者が右手術に関わつた精神科医を恨んで殺害しようとし、その家人二名を惨殺したという特異な事案であるところから世間の耳目をひき、社会に衝撃を与えたものであり、とりわけ、精神医療に携わる人達に与えた衝撃、不安には深刻なものがあつたと思料され、また、精神医療の患者に対する社会的偏見さえ助長しかねないものであることに徴するとき、本件の社会的影響にも重大なものがあるといわなければならない。
しかるに、被告人は、このようにきわめて自己中心的、他罰的で酌量の余地のない動機にもとづき、しかもこの動機とは本来全く関係のない被害者両名を残虐きわまりない方法で惨殺しながら、自らの罪責の重さ、罪業の深さをいささかも省みることなく、自らを正当化して非は医師にあるとする態度に終始し、しかも、今なお、医師に対する殺意は放棄しておらず、将来機会さえあれば万難を排して医師殺害を実行する旨公言してはばからない態度をとつているのであつて、こうした被告人の態度は、被告人の著しい反社会性、兇悪性がもはや矯正不能に近いものであることを物語つているといわなければならない。
被告人は、昭和三二年に暴行、恐喝の各罪により懲役一年六月、執行猶予三年に処せられたのをはじめとして、昭和四八年までに強盗致傷罪を含む前科四犯を有し、服役中にもしばしば懲罰に処せられており、その他にも芳しからざる行動を反覆しているのであるが、被告人は、これらの点でもいたずらに自己を正当化し、非を他に転嫁する供述態度に終始していることをも併せ考えるとき、犯情はまことに悪く、被告人の刑責には、きわめて重大なものがあるといわなければならない(なお、弁護人は、原判決が本件殺人予備と本件強盗殺人とを併合罪としている点につき、殺人予備は強盗殺人に吸収されると解する余地があり、これを併合罪とした原判決の法令の適用には疑問があるとしているのであるが、殺人予備はBを対象とするものであり、一方強盗殺人はA子及びC子を対象とするものであつて、両者はその対象を異にするのであるから、前者が後者に吸収されるということはありえないところというべく、これを併合罪とした原判決の法令の適用は正当であることは明らかである。)
しかしながら、医師殺害の計画そのものはきわめて強固な殺意にもとづく周到綿密な準備の下になされたものではあるけれども、被害者両名の殺害は、予め被告人が企図していたものではなく、予期していなかつた事態に直面した被告人がとつさに決断実行したものであつて計画的なものとはいえず、財物奪取の点も同様であること、被告人に対するチングレクトミーの施行は、当時の精神医学界の一般的な見解や被告人の当時の精神状態に照らすとき、当時の措置としては、前述のとおり、まことにやむをえない相当なものであつたとしても、被告人の場合、最終的には、爆発性、攻撃性を除去することができず、被告人を一時期その副作用ないし後遺症としてのてんかん発作や精神衰弱症状に悩ませるだけの結果となつて終つているのであつて、結果論としては、医療行為として所期の目的を達成できた成功例とはいえないものであつたのであり、自らの同意のないまま不本意な形で右手術を施行された被告人の立場からすれば、この点につき割り切れないものを感ずるという限度では無理からぬところと思料される一面もないではないこと、被告人の脳が右手術によつて器質的障害が生じ、そのために被告人の人格の崩壊や性格変化が生じたわけではないことは前述のとおりではあるけれども、右手術の後遺症として惹起された精神衰弱状態は、間もなく相当程度回復されたとはいえ、その後もこうした症状がある程度残存して被告人の精神状態に微妙な影響を与えたことは否定できないところであり、それがひいてはその後の被告人の社会生活への適応を困難ならしめたという一面が全く皆無とはいいきれないこと、本件は、被告人の前述のような特異な性格が被告人の致命的ともいえる挫折感と結びつき、決意実行されたものとみるべきことは前述のとおりであるが、被告人のこうした性格自体多分に先天的な負因に負うところが少なくないと思料され、また、被告人の人生を大きく狂わせたと思われる薬物の濫用も、被告人のこうした先天的な性格からくる病的な緊張からの逃避という一面もないではないこと、被告人が今なお医師に対して根深い憎悪と強固な殺意を捨てていないことは前述のとおりであるけれども、被告人を終生獄中に隔離するかぎり、所論が強調しているような蓋然性、危険性は現実にはほとんどなかつたであろうと思料されること、被告人の経歴は、たしかに全体的には各種の犯罪や反社会的行動に彩られた芳しからざるものという他はないものではあるけれども、貧しい家庭に育ちながら、ほとんど独学で英語を修得して通訳になり、また、スポーツ関係の著述で身を立てるようになるなど向上心に燃えて努力し、それなりの成功を収めた時期もあつたことなど、原判決が指摘する、被告人のためそれなりに酌むべき諸事情が、他方では認められるのである。
なお、検察官は、原判決が「量刑の理由」の項で説示しているところについて、(1)B医師は、チングレクトミー施行の当日、その直前に、被告人に対しチングレクトミーをこれから施行する旨を明確に告げ、被告人もこれに同意したものであり、このことは、被告人自身が昭和五三年二月に東京大学医学部付属病院で受診した際相手方の医師に対して「手術前に説明を聞いている。」旨述べていること(証人佐藤順恒の証言調書末尾に添付された精神神経科外来診療録参照)からしても疑いをさしはさむ余地のないところというべく、B医師が被告人の同意を得ないままチングレクトミーの施行にふみ切つた旨説示する原判決の認定は事実を誤認したものである、被告人は自らも十分納得のうえチングレクトミーの施行を受けておきながら、このチングレクトミーはB医師が被告人自身の同意を得ることなく、いわば被告人を欺罔した形で施行したものである旨主張し、かつ、その後の被告人自らの責に帰すべきつまずき、挫折のすべてがこのチングレクトミー施行による人格崩壊に起因するとして今なお自己のB医師に対する憎悪、怨念を正当化しているのであり、被告人のこの心情は、きわめて自己中心的、他罰的であるのみならず、甚だ背信的なものといわなければならない、(2)本件の一連の事実関係の経過、とりわけ、被告人が被害者両名の殺害前に屋内で金品の物色をしていること、被告人が着替えの背広や履き替える靴なども本件現場に携行するなどB医師殺害に失敗した場合には逃走することを考えていたとしか思われない行動をとつていること、被告人が指紋を残さないための軍手も用意して現場に赴き、これを使用していること、被害者A子が「Bは、今夜はもう帰つてこないでしよう。」と云うやいなや、被告人は直ちに逡巡することなく、被害者両名の殺害と金品奪取に及んでいることなどに加えて、本件犯行がB医師の給料日の翌日に敢行されていることや被告人の当時の経済状態などを総合するとき、被告人は、当初から、B医師が不在で同医師殺害の目的を遂げられない場合をも予見し、その場合には、被害者両名を殺害したうえ金員を強取して逃走し、後日のB医師殺害に備えることを企図していたものであることは明白であり、いいかえると、被害者両名の殺害と金員強取も当初の計画に組み込まれていたところというべきであり、これらの犯行が予想していない事態の変化に直面した被告人が突発的に敢行したものであるとの原判決の認定は事実を誤認したものである、(3)原判決は、「被告人が医師殺害を周到に計画したのみならずその実現のため本件各犯行に及び、今なお医師に対する根深い憎悪と殺意を保つていることは、被告人の危険性として看過できないところではあるが、被告人を終生獄中に隔離するならば、被告人が再び医師殺害を実行する客観的、現実的な危険性はもはやほとんどないと認められるところである。」と判示し、これを酌量すべき事由の一つとしているのであるが、仮出獄制度は積極的に運用すべきものとされ、一般に一五年ないし二〇年で仮出獄が許可されているのであつて、原判決の右説示は、こうした仮出獄制度の実態を無視した空論であり、被告人が無期懲役に処せられるにおいては、いつの日か仮出獄により社会復帰する可能性があり、B医師は終生生命の危険にさらされることになるのである、(4)原判決は、「チングレクトミーは、被告人への施術当時においては、最終的な治療方法として世界的に承認され、少なからぬ症例について行われていたものであるけれども、当時から賛否両論がなかつたわけではなく、その後に精神外科手術そのものの当否が問題とされるに至つていることや、治療薬の発展もあつて、現時点では我が国においては施行されないようになつていること、被告人に対する施術当時は、精神外科手術に当たつて患者本人の同意を得ることに重きが置かれてはいなかつたが、現在では治療行為一般に患者本人の同意が重視されるようになつていること、また、被告人に対する手術については、手術を受けたにもかかわらず、数年を経て被告人の爆発性、攻撃性が復活しており、結果的にみて本来求められていた手術の効果は十分得られなかつたといわざるを得ず、他方で被告人は手術後のてんかん発作、性欲減退、美的情動の喪失感などを訴えており、これは手術の副作用ないし後遺症とみられ、現時点においてみれば、結局被告人に対する手術が医療行為としてどれだけの価値があつたかには疑問も残ること等の諸事情は、前述のように被告人の施術に至る経緯が当時としてはやむを得ないものであつたとはいえ、現在、被告人に極刑を科すべきか否かを決する上では、なお斟酌に値するものといわねばならない。」と判示し、被告人が、チングレクトミーを受けたことを酌量すべき事由の一つとしているのであるが、被告人がチングレクトミーを施行された昭和三九年当時は、この手術は広く行われ、相当の成果をあげていたのであり、精神医学会内部においてその当否が問題とされるようなことはなかつたものであるし、被告人自身の場合も少なくとも昭和四四年二月ころまでは爆発性、攻撃性が全く影をひそめたという点でそれなりの成果があつたのである、また、被告人がこのチングレクトミーの後遺症としててんかん発作、性欲減退、美的情動の喪失などを訴えるのであるが、被告人のこれらの訴えには少なからぬ誇張、虚偽が含まれていると思われるのであり、原判決の右説示には承服できない、(5)また、原判決は、被告人の年齢(高齢)を酌量すべき事情の一つとして指摘するのであるが、被告人が精神鑑定に対してきわめて非協力的であつたため鑑定が著しく遅延し、そのために原審の審理が長期化した結果被告人が高齢化したというにすぎず、被告人の高齢は被告人のために有利に斟酌すべき事情とはいえない、などと主張しているので、これらの主張について判断を示すこととする。
まず、(1)の主張についていれば、被告人は、捜査段階から原審公判廷における最終段階にいたるまで、終始一貫して、チングレクトミーの施行に先立ち、B医師からその旨を告げられたことも、その施行に同意したこともない旨明確に供述しているところ、被告人の乙山保養院への措置入院の経緯、右保養院での被告人に対する治療状況とこれに対する被告人の対応、とりわけ被告人がB医師に対して措置入院の不当性を執拗に訴えて社会復帰を迫り、右保養院からの脱走も企図していたこと、被告人が自己に対するチングレクトミーの施行に対して示した激しい拒否反応の模様に、被告人のきわめて粗暴な、情緒的にもバランスを失いやすく爆発的、狂信的な性格などを総合すれば、仮にB医師において被告人に説得を重ねチングレクトミー施行についての同意を求めたとしても、被告人がこれに同意するということはありえなかつたところというべきであり、また、被告人に担当医としてかなりの期間接してきたB医師にしても、このことは十二分にわきまえていたところと思料されることや、被告人に対するチングレクトミー施行に関する関係者の同意書なども添付されていた筈の右保養院における当時の被告人のカルテがその後不自然な形で紛失するにいたつていることなどの事情にかんがみるとき、被告人のこの点に関する供述は、十分に信用できるところと認められるのである。そして、検察官指摘の東京大学医学部付属病院での被告人の発言も、被告人の捜査段階における供述などを併せ考えるとき、チングレクトミー施行のかなり以前にB医師から被告人に対してチングレクトミーについての概括的な説明がなされたことがあり、その折きわめて婉曲な表現で被告人の意向が打診されたことを指しているにすぎない(その後の被告人のチングレクトミーに対する激しい拒否反応からして、この時点でも被告人が同意を与えていないことは明らかである。)のであつて、所論のように、チングレクトミー施行の直前において被告人がこれに明示の同意を与えたことを自認する趣旨のものではないことは明白であるといわなければならない。もとより、当時の被告人の状況からすれば、B医師が被告人の同意を得ることなくチングレクトミーの施行にふみ切つたことはまことにやむをえない措置であつたというべきであり、非と目すべき点は全くないといわざるをえないし、チングレクトミーの施行のゆえに被告人の人格崩壊がもたらされたわけではないことも前述のとおりであつて、チングレクトミーを施されたことのゆえにB医師を恨み、これを殺意にまで飛躍させて本件犯行にまで及んだ被告人の心情、行動は、まことに自己中心的、他罰的であるといわざるをえず、到底是認できるものではないことに変わりはなく、所論は、この点を指摘する限度においては正当というべきであるが、チングレクトミーに対する被告人の同意があつたことを前提としてるる主張するところは、排斥を免れないといわなければならない。
次に、(2)の主張について判断する。
まず、被告人が、本件犯行を昭和五四年九月二六日に敢行している点についていえば、被告人の捜査段階及び原審公判廷における供述によると、被告人は、当初本件犯行を同年同月一七日に決行するつもりでいたところ、その精神的ストレスから直前に激しい下痢に襲われたため決行日の延期を余儀なくされ、下痢症状がおさまつた同年同月二六日に決行するにいたつたものであつて、当初からこの二六日に決行することを予定していたわけではないこと、いわんや当日がB医師の給料日の翌日であることを念頭におき、金員を強奪する意図でその日を選んだわけではなかつたことは明らかであるというべきであり、当日がB医師の給料日の翌日であることを被害者両名の殺害と金品強取が当初からの計画的犯行であることの証左とする所論は採用できない。
また、被告人が被害者両名を殺害する前に金品の物色をしていること、被告人が着替えの背広や履き替える靴なども携行して本件現場に赴いていること、及び被告人が軍手も携行して現場に赴き、本件犯行の際これを使用していることは、いずれも所論の指摘するとおりであるが、被告人は、このうち金品物色の点については、B医師の財産状況に対する好奇心からとか、B医師殺害を延期した場合の逃走資金、生活資金を確保するためなどと供述しており、着替えの背広を携行した点については、B医師殺害の後現場で自殺するための死装束にするつもりであつたとか、客の訪問などでB医師殺害に失敗した場合着替えて逃走するつもりであつたなどと供述しているのである。思うに、被告人が指紋を残さないため軍手を携行使用していることや、着替えの背広、履き替える靴なども携行していることなどは、被告人があらかじめB医師殺害に失敗した場合をもある程度念頭に置き、その場合に足が付かないようにして逃走するための措置に他ならなかつたと認められるし、被害者両名を殺害する直前に被告人が金品物色に及んでいるのも、すでにこの時点で、被告人が、B医師が帰宅せず当夜同医師を殺害することができなくなることをも想定し、その場合には、B医師宅の金品を強奪してこれを将来再びB医師殺害の行動に出るまでの間の逃走資金、生活資金にしようとの心理がある程度被告人に働いていたことを窺わせるものといつてよいであろう。しかしながら、被告人は、捜査段階から原審公判廷における最終段階にいたるまで、終始一貫して、B医師殺害のみを企図していたものであつて、被害者両名の殺害と金品強取の所為は、たまたまB医師が帰宅しないという予期していなかつた事態に直面し、この事態に即応してとつた行動にすぎず、B医師宅へ押し入る以前から予期し、計画していたものではない旨明確に供述しているところ、これらの供述は、被害者両名に手錠をかけるなどしてその身体の自由を奪つたうえ、約二時間半もB医師の帰宅をひたすら待つた、被害者両名殺害にいたるまでの間の当夜の被告人の行動、被告人の被害者両名の殺害が、被害者C子の「Bは、今夜はもう帰つてこないでしよう。」との発言をきつかけとして敢行されていることなど当夜の一連の被告人の行動ともよく符合しているうえ、B医師に対するきわめて強固な憎悪、殺意に支配されていた被告人としては、その関心が、B医師のみに、B医師殺害のみに極度に集中するあまり、B医師が当夜帰宅しない場合の対応などには事前に十分な熟慮が及ばなかつたとしても、心理的にはごく自然な成行きというべきであること、そもそも被告人は、他の多くの点についても、捨て鉢とも思われるような、自己にとつてきわめて不利益な、さまざまな供述をしているのであり、被告人のこれらの供述にかんがみるとき、被告人が、この点についてだけは、自己の罪責を軽からしめるべく、ことさらに事実を歪曲して供述しているとは到底思料されないこと、被告人が本件犯行に先立つて、それまで受けていた生活保護の打ち切りを申し出ており、この事実は、被告人がB医師殺害後自らも直ちに自殺する決意を持つていたことを窺わせるものであり、B医師殺害に失敗するという場合も全く想定しないではなかつたにせよ、その確率はきわめて低いものと考えていたことを物語つているというべきであることなどを総合するとき、十分に信用できるものと思料される(前述のとおり、検察官は、本控訴趣意書においては、被告人のこの点に関する供述が信用できない旨るる主張し、被害者両名の殺害と金品強取が、B医師宅に押し入る以前から被告人の抱いていた計画の一環に他ならないとするのであるが、原審検察官は、原審公判廷における論告においては、被告人らのこれらの供述に全面的に依拠して被害者両名の殺害と金品強取が予期していなかつた事態に直面して被告人がとつた偶発的行動であることを前提として所説を展開しているのであつて、検察官の所説にみられるこの自己矛盾はまことに理解に苦しむところといわなければならない。)。検察官の指摘する前述の諸点は、いずれも被害者両名の殺害と金品強取が、当初からの計画の一環であることを何ら示唆するものではなく、右主張は採用できない。
次に、(3)の主張についていえば、無期懲役についても、仮出獄制度の適用があり、かつ、現にかなり積極的に運用されていることに徴し、被告人も本件について無期懲役に処せられるにおいては、将来この仮出獄制度の恩典を受けて社会復帰する可能性がないではないことは所論の指摘するとおりというべきであるが、刑法二八条によれば、無期懲役刑については、一〇年を経過しなければ、この恩典を与えることはできないとされているうえ、犯罪者予防更生法により仮出獄は、本人に面接し、本人の収容されている監獄の長の意見を聞き、本人の人格、在監中の行状、入院前の生活方法、家族関係その他関係事項を入念に調査して相当と判断された場合にはじめて与えられるとされているのであつて、こうした運用にかんがみるとき、被告人がB医師に対する根深い殺意を完全に放棄したことが確認されないかぎり、被告人に安易に仮出獄が認められるという可能性は実際上ありえないところと思料されるのであつて、原判決の説示もまさにこの点を指摘するにあると解せられるのであり、したがつて、これを空論として論難する所論は採用できない。
次に、(4)の主張についていえば、そもそも原判決の右説示が、被告人に対してチングレクトミーの施行に踏み切つたB医師らの措置に非とすべきものがあるとの趣旨を毫も含んだものではないことは判文自体からして明らかであつて、所論は原判決の右説示の趣旨を誤解ないし曲解したうえこれを論難するものといわざるをえない。原判決の右説示は、当時においては、チングレクトミーは一般に有効な治療法として是認され、広く施行されていたものであり、被告人に対してこれを施行したB医師らの判断には、被告人のそれまでの行動歴や乙山保養院での治療の経緯などに照らして、まことにやむをえないところであつたと思料され、非とすべき点は全くなかつたというべきであり、このことのゆえにB医師に対して殺意にまで飛躍した強固な怨恨、復讐心を抱くにいたつた被告人の心情はまことに理不尽な逆恨みと評するの他はないことは、前述のとおりといわなければならないけれども、この点はさておき、前述のように右手術が被告人の同意がないまま施行されたことや、右手術の数年後には被告人に再び爆発性、攻撃性がみられるようになり、B医師らが期待していたような成果が十分に得られたとは到底いえないような結果に終わつており、また、右手術後、その程度はともかくとして、被告人がてんかん発作、性欲減退、美的情動の喪失感に悩まされたことは事実であつて、これらの事実に徴するとき、被告人がチングレクトミーを施行されたことに割り切れないものを感ずるという限度では、その心情はそれなりに理解できるところというべきであつて、原判決の指摘も、まさに右のような趣旨、限度においてこれらの事実を被告人のために酌むべき事情にあたるとしているものであり、もとより正当な指摘といわなければならず、したがつて、右主張も採用できない。
また、(5)の主張についていえば、そもそも、一般的にいつても、高齢者の場合、服役が若年者、壮年者と比べてより辛いものとなるであろうことや、服役を終えて出所するであろう時点では一層高齢化し、その行動能力の衰えもあつて、再犯のおそれを減弱させると思料されることなどの点で情状の一要素と認められるのであるが、とりわけ、被告人の場合、原判決時すでに六四歳となつており、無期懲役に処せられるにおいては、仮に万に一つ被告人が仮出獄の恩典を受けることがあるとしても著しく高齢となつた後であろうと予測され、また、被告人が仮出獄による社会復帰の日を迎えることなく獄中で死を迎えることもありえないではないと思料されるのであつて、こうした意味で、被告人の高齢を情状の一要素として勘案すべきものとした原判決の説示は、原審の審理過程に所論の指摘するような事情があつたとしても、十分首肯できるものを含んでいるといわなければならず、右主張も採用のかぎりではない。要するに原判決の「量刑の理由」の項における説示に対し検察官が論難するところはすべて排斥を免れない。
以上の諸事情を総合的に勘案するとき、被告人の刑責にはきわめて重いものがあるというべく、被告人に対しては極刑が相当であるとして本件控訴に及んだ検察官の措置はあながち苛酷とはいえないものがあるというべきである。しかしながら、前述のように、被告人のために酌むべき諸事情もそれなりに存在することや、死刑が極刑であつてその選択には慎重のうえにも慎重を期さなければならないと思料されることを併せ考えるとき、当裁判所としても、被告人に対して死刑をもつて臨むことには、躊躇、逡巡を禁じえないものがあるのであつて、「被告人に対しては、今後とも医師殺害の計画を決して実現させぬよう、被告人の死に至るまで仮出獄等を赦すことなく、終生の間、社会から隔離した上、自己の非を悟るべく、また被害者の冥福を祈るべく、その機会を与え、無期懲役に処するのが相当である」との原判決の説示にこそ共感を覚えるものがあるといわざるをえないのである。結局原判決の量刑は相当というべく、論旨は理由なきに帰する。
よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書によりこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小泉祐康 裁判官 日比幹夫 裁判官 松尾昭一)